メニコンDNAコーナー

 

ここでは、メニコンの創業者、田中恭一の刻画(レリーフ彫刻)、弟で技術顧問の田中勇輝の仏像とボトルアーキテクチャ、また父親で初代会長の田中華山の竹彫作品を展開しております。作品を通じて、メニコンの技術力の原点を感じて頂けるコーナーとなっております。

ものづくりのDNAの伝承

田中恭一 作
制作年 2005年
サイズ F8
素材 セン

 

流慶 〜慶びを流す〜

田中恭一 作
制作年 2008年
サイズ 107cm×50cm
素材 トチ

 

薬師寺西塔

田中勇輝 作
制作年 2011年
サイズ 高さ115cm
素材 一位

 

法隆寺夢殿

田中勇輝 作
制作年 2003年
サイズ 高さ65cm
素材

 

金閣寺

田中勇輝 作
制作年 1998年
サイズ 高さ65cm
素材

 

多聞天

田中勇輝 作
制作年 2004年作
サイズ 高さ90cm
素材 一位

 

千手観音

田中勇輝 作
制作年 2012年
サイズ 高さ95cm
素材 一位

 

掛額「龍図」

田中華山 作
制作年 1964年
サイズ 116cm
素材

 

矢立、香筒

田中華山 作
(左)矢立
素材
(中)香筒「松図」
制作年 1978年
サイズ 35cm
素材
(右)香筒「観音図」
制作年 1945年
サイズ 34.7cm
素材
「盛徳」 達磨刻画 2011年
田中恭一 作
メニコンの"ものづくり"の精神の起源は、初代会長 故 田中華山(田中嘉尚(1900-1990))にあるといえる。創業者会長 田中恭一の父 華山は竹で様々なものを作り彫刻を施す竹彫工芸作家であった。その彫りは緻密で繊細でありながら凛と力強く、実用品を超えた芸術的な作品は高く評価され愛好家の手へと渡っていった。華山の子 供たちは幼いころから厳しい父の工房の掃除や、材料となる竹の油抜きなどの下準備の手伝いをしながら、常に姿勢を正して一心に竹に向かう父の背中を見て育った。そのような環境の中で、持って生まれた手先の器用さだけではなく、妥協を許さずものごとに真摯に取り組む姿勢、製品を手にする人のことを考え創意工夫する、 ものづくりの哲学もまた受け継がれてきたのだ。

 

 

「薬師寺西塔」
ボトルアーキテクチャ
田中勇輝 作
恭一が1951年に角膜コンタクトレンズを開発し起業すると、兄弟姉妹全員が協力して従事した。そして父 華山は初代会長に就任すると「精美眼晴」「心富」など、思いを込めた造語を書として揮毫し掲げるほか、社歌の作詞、社訓の作成など会社の基本精神の形成に深く関わり寄与する。同様に恭一もまた「愛総不怒正考」「集中考」など自らの思いを表す造語をスローガンとし、作品にして社内に発信している。恭一は、刻書の他に主に達磨大師の絵を板に彫り彩色する作品に取り組んでいるが、これと 同様のカテゴリがなかったので「刻画」と称した。また末弟であり技術顧問である田中勇輝は、仏像彫刻の他にボトルの中で精巧な建造物を組み立てる作品を得意と するが、これもオリジナルの発想によるもので他に類がないことから「ボトルアーキテクチャ」と独自に称することにした。いずれも試行錯誤から独創の世界が展開されているのである。
展示されている作品の中に弊社の基本精神、DNAの伝承をご覧いただければと思う。

 

明治 33年 愛知県葉栗郡 (現:一宮市)木曽川町黒田出身
大正 2年 竹彫作家・水谷華山に入門
  9年 翠竹庵曽山と号し、独立
  14年 松坂屋新築開店時、曽山コーナーが設けられる
    第二回愛知県特産物工芸品展覧会に出品
    出品作品8点全てを駐日アメリカ領事が購入し評価を受ける
田中華山(1900-1990) 昭和 2年 「華山」襲名
株式会社 メニコン 初代会長     東京鳩居堂、松坂屋、玉水屋などへ納品
    25年 ザビエル四百年記念使節団への献上品制作
  27年 高松宮妃に筆筒献上
  30年 松月流生花全国大会に作品展示
  32年 日本コンタクトレンズ(株)[現(株)メニコン]会長就任
  53年 木曽川町町史に紹介
  54年 木曽川町文化保存品として作品寄贈
平成 2年
昭和 6年 愛知県葉栗郡(現:一宮市)木曽川町に田中華山の次男として生まれる
  26年 日本初の角膜コンタクトレンズの実用化に成功
  45年 独学で油絵を描く
  62年 刻書・刻画創作開始
平成 4年 本格的に刻画制作開始
田中恭一(1931-)   7年 メニコンギャラリーメニオオープニング達磨刻画展開催
株式会社 メニコン 創業者 会長     丸栄絵画サロンにて「達磨刻画個展」開催
日本コンタクトレンズ協会 名誉会長   8年 東海銀行車道支店ロビーにて作品展示
藍綬褒章受章(平成7年)   9年 ドイツ・フランクフルト市立イコーネン美術館にて達磨刻画個展開催
    10年 葵ギャラリー(学校法人山田学園隣接)にて作品展開催
    丸栄絵画サロンにて「田中華山・恭一・勇輝父子展」開催
  16年 丸栄美術画廊にて「田中恭一の世界展」開催
  18年 一宮市立玉堂記念木曽川図書館にて「田中華山・恭一・勇輝父子三人展」開催
  20年 丸栄美術画廊にて「田中恭一・田中勇輝・塚本敏清・水野温子ファミリー作品展」開催
  21年 一宮市立玉堂記念木曽川図書館にて「田中恭一・杉本一廣 郷土二人展」開催
昭和 17年 愛知県葉栗郡(現:一宮市)木曽川町に田中華山の六男として生まれる
  32年 日光電機 勤務
  40年 名工樹脂(株)勤務
平成 2年 ボトルアーキテクチャ制作開始
  5年 独学で木彫仏像制作開始
田中勇輝(1942-)   6年 大佛師江場琳黌(えばりんこう)氏のもと指導を受ける
株式会社 メニコン 技術顧問   6~24年 名古屋市博物館にて「草仏展」出品
最新のコンタクトレンズ・眼内レンズや
新製品の製造工程の研究と指導にあたる
  7~9年 岡崎市シビコにて岡崎市芸術祭「草仏展」出品
  8~22年 京都市産業会館にて「宗教美術展」出品
  8年 (株)メニコン技術顧問就任
  10年 丸栄絵画サロンにて「田中華山・恭一・勇輝父子展」」
開催
  18年 一宮市立玉堂記念木曽川図書館にて「田中華山・恭一・勇輝父子三人展開催
  20年 丸栄美術画廊にて「田中恭一・田中勇輝・塚本敏清・水野温子ファミリー作品展」開催