竹彫田中 華山田中恭一の父「嘉尚」
1900-1990
株式会社メニコン 初代会長
愛知県一宮市が生んだ竹彫工芸家で、
雅号は「翠竹庵華山」、メニコンの初代会長。
明治33年(1900年)愛知県葉栗郡木曽川町(現・一宮市)で生まれる。
幼少のころより図画・習字に秀で、13歳にして工芸家の旗頭といわれた水谷華山に入門し、竹材彫刻を学んだ。厳格な師の厳しい指導に耐えて研磨8年、大正10年に許しを得て独立する。
大正14年に愛知県特産物工芸品展覧会に香炉茶器など8点を出展したところ、駐日アメリカ領事がすべて買い上げ本国へ持ち帰ったのがきっかけで、田中華山の名は一躍工芸界に広まった。
田中華山の得意は、師匠譲りの細字彫で、これまでに手にかけた作品は、花入れ・香炉・筆筒・掛額・印材・煙草入れ・根付・帯留めなど数百余種にのぼる。
文房具や茶器各種は、精緻で繊細、それでいて凛として力強い作品で、実用品の枠を超えた高い芸術性が評価されており、皇室への献上をはじめ、多くの愛好家に親しまれていた。
恭一の起業した東洋コンタクトレンズ㈱(現:㈱メニコン)の初代会長に就任後は、「精美眼晴」「心富」など、想いを込めた造語を書とし掲げるほか、社歌の作詞、社訓の作成など会社の基本精神の形成に深く関わり寄与した。
「私の仕事はこれで良いという段階がなく、頂上のない山登りのようなものです。」 純日本工芸家らしい謙虚な姿のまま、1990年に惜しまれつつこの世を去った。享年90歳。
妥協を許さず物事に真摯に取り組む姿勢と精神、製品を手にする人のことを考え創意工夫する「ものづくりの哲学」は見事に恭一・勇輝、そして社員へと受け継がれている。























